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受賞作品 感想文部門
「思いをつなぐ」
西山 倖詩さん
境港市立渡小学校6年
『ぼくは風船爆弾』(潮出版社)
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「風船爆弾?」
楽しいイメージの風船と、人を殺してしまう爆弾とのギャップが心に引っかかった。
「風船爆弾」とは戦争中に、日本軍が開発した兵器だ。大きな気球に爆弾をつけ、アメリカ本土を攻撃するというものである。その気球の部分は、当時の女学生たちによって極秘に作られていた。女学生たちは、国や殺された家族のためにと一生懸命に働いていた。その姿は、素直にすごいと感じた。戦争は、決してゆるされることではない。しかし、その時代を生きた人々は精一ぱいその時代を生きたのだと感じた。
ある時、女学生たちのもとに、風船爆弾がアメリカ本土で大きな被害を出したと知らせが届いた。その時、女学生から歓声が起こり、拍手をして喜んでいた。ぼくは、戦争のこわさは、こういうところだと思った。それは、人を殺すことが、まるで正しいことのように感じることだ。ぼくが、もしもこの場にいて、家族を戦争でなくしていたとしたら、きっと同じように拍手をしてしまうだろう。
女学生の中にも、人を殺すことを喜んでいない人もいた。節子さんだ。お兄さんを戦争で亡くし悲しんでいたが、もうだれの命もうばってほしくないと考えていた。風船爆弾の「ほくと君」は、そんな節子さんの思いを知り、命について考えるようになっていた。兵器として、使命を全うしたいという思いと、だれも傷つけたくないという思いに迷い、きっとつらく苦しんだと思う。苦難を乗り越えて、アメリカに着いたときの喜び、それと同時に自分の命が消えることの悲しみ、きっと複雑な感情だったのではないだろうか。ほくと君は、オレゴン州に不時着する。そして、風船爆弾のことを知らなかった地元の子どもたちが近づき、さわったことで爆発をしてしまった。
ぼくは、学校の学習で、境港市で起こった、玉栄丸の爆発事故のことを思い出した。玉栄丸には、多くの火薬が積まれていた。しかしそのことは、一部の人しか知らず、一度目の爆発のあと、町の人々や消防隊が駆け付けたところで、二度目の大爆発が起こり、多くの人が亡くなったと聞いた。もしも火薬が積まれていることを知っていたら、人々は近づかなかったのかもしれないのだ。
戦争中には、様々なことが秘密にされる。また、間違った情報や考え方が、正しいことのようになる。今を生きるぼくたちにできることはなんだろう。ぼくは、まず、「知ること」が大切だと思う。ぼくは、この本に出会い、戦争について知り、考えた。次に、考えたことを「自分たちの生活に生かす」ことだ。何かと理由をつけて、だれかの悪口を言ったり、いじめたりしていないだろうか。まるで正しいことのように間違ったことをしていないだろうか。ぼくは、自分の生活を見つめ、節子さんやほくと君の優しい思いをつないでいきたい。
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