現在の仕事内容
 鳥取県内で2番目に人口が多く、山陰の「商都」と呼ばれ発展してきた米子市を担当しています。観光や教育、公共交通など米子市のさまざまな分野の事業を誰にでも分かりやすく伝えたり、市内の面白い取り組みを掘り起こして紹介したりしています。普段心がけていることは、読者の方に「読んで良かった」と思ってもらえるような記事作りです。政党も担当しており、国政選挙の際には記者同士が連携しながら取材に力を入れています。 

新日本海新聞社を就職先に選んだ理由
 子どもの頃から読書が大好きで、一番得意な科目は国語でした。また鳥取県出身だったので、日本海新聞は昔から愛読していました。自分や家族、友達が紙面に載ったこともあり、とても身近な存在でした。大学4年で就職活動を始めた際、名刺1枚で誰とでも会えて、多様な経験が積め、社会を良い方向に変えていける新聞記者の仕事に引かれました。自分の強みが生かせ、地元を盛り上げられる仕事ができると思い、入社を決めました。

キャリアステップについて(当時に携わっていた仕事の内容や思い出)

1年目 但馬支社報道課
 兵庫県北部の新温泉町、香美町を担当し、町政や事件事故、スポーツなど全ジャンルの取材を経験しました。印象深いのはズワイガニ漁船の同行取材。海の男の戦いに1日密着し、船酔いに襲われながら必死に写真を撮りました。翌日の1面に初めて記事が載り、努力が報われたうれしさやもっと良い記事を書く意欲が生まれました。


5年目 本社デジタル戦略部

 弊社初のネット担当記者として、ネットオリジナル記事の制作に力を入れました。新聞のルールにとらわれない記事の書き方や多様な写真、効果的な動画を駆使し、新しいコンテンツ作りに挑戦。能登半島地震では、被災地に出向く鳥取の炊き出し隊に1週間同行し、活動や被害状況を紙面とネットの両方を生かして伝えられました。

6年目 西部本社報道課
 初めての県西部勤務となり、米子市を象徴する祭り「米子がいな祭」や衆議院選挙など市民の関心が高い取材に意欲的に取り組みました。また能登半島地震1年の企画で再び被災地に行き、人々や街の1年の変化を伝えました。陶芸体験などさまざまな体験取材にも挑戦し、自分の人生にとっても良い経験が積めています。

これまでに成長したと実感するところ
 住民のリアルな声に寄り添う姿勢

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