ぼくが三年生のときのことだった。同じクラスの友達が、ヤゴを七ひきぐらい教室に持ってきた。ぼくはそれまで本物のヤゴを見たことがなかった。やっぱり図かんやテレビで見るヤゴとはひとあじちがっていた。本物はかっこいい。はく力がある。でもはく力がありすぎて、ちょっとショックに感じたことが起こった。ぼくのもらったヤゴが、ほかのヤゴに食べられているまっさいちゅうの場面を見てしまったことだ。ぼくのヤゴは、両方のあごでがっちりとつかまれていた。ムシャムシャという音が聞こえてきそうだった。そしてカラだけ残して、身はすっかり食べられてしまった。ああ、そうか。ヤゴは肉食だったのか。おなかがへったら共食いをするんだ。ぼくにとって悲しい発見だった。
メダカのサンキチの友達も、ぼくのヤゴのように食べられてしまった。体が半分すなにうずもれたままでびくともしないヤゴは、なんだかとてもぶきみな感じがする。しずかにじっと、えものをとらえるしゅん間をねらっているんだな。「来るぞ、来るぞ」と思ったらドキドキしてきた。なんとかしてサンキチの友達を助けてやりたかった。でも、メダカにとってはかいぶつヤゴでも、こうして一生けん命にえものをとって食べて成長しているとちゅうで、ぎゃくに鳥のエサになってしまうこともある。ぼくは、「どうか鳥に見つかりませんように」と思いながら、成虫トンボになるときをじっくり観察した。せ中のカワがわれて、ゴソゴソと体が出てきて、だんだんと虫の形になっていく様子は、チョウやセミとそっくりだと思った。おどろいたのは、羽化のときにエラこきゅうから気門というあなのこきゅうにかわることだ。かいぶつヤゴは、他の虫にはまねできない不思ぎな変身の力を持っている。
かいぶつヤゴはりっぱなトンボになった。それも日本一大きいオニヤンマになった。オニヤンマのクロベエは、どうどうとしていてかっこいい。黒と黄色のもようも強そうだ。でもクロベエのすごさは見かけだけではないことが、この本を読んでわかった。一番のじまんは、「トンボのいのち」のはねだ。強いはね、曲げいのようなとび方ができるはねは、ぼくには想ぞうもつかないような工夫がたくさんあった。この命のはねで、クロベエはこれからエサをとったり、けっこんをしたりしていく。クロベエたちにとっては、じょうずに飛ぶことが生きることなんだ。じょうずに飛ぶことが命をつなげていくことなんだ。クロベエもヤアコも大空をおもいっきり飛んでほしい。一生けん命に、メダカのサンキチの友達のぶんまで飛んでほしい。そしてぼくたち人間は、クロベエとヤアコが日本一りっぱなオニヤンマの命をいつまでもつないでいくことができるように、大切に守っていかないといけない。ぼくは、青い夏の空、きれいな秋の空をスィーッ、スィーッと気持ちよさそうに飛びまわるトンボを早く見たくなった。 |