代表取締役社長
廣川 信也氏
故郷への感謝を形に
―エースパック鳥取倉吉工場(倉吉市秋喜)は昨年創業50周年を迎えました。前会長の故廣川仁(倉吉市出身)が米国の大型スーパーを視察した際、買い物客がプラスチック容器に入った食品をカートに入れる姿を見て、日本も同じ形態が主流になると考え、1973年にエースパックが始まりました。事業拡大に伴う基幹工場建設で白羽の矢を立てたのが前会長の故郷。倉吉の人の信頼性、勤勉さが浮かんだのだと思います。
―倉吉の雇用確保、地域経済に貢献されています。故廣川会長には倉吉市名誉市民の称号が授与されました。
食品軽量容器製造は機械装置の中で完成するように見えますが、検査機器が発達しても、消費者が直接口に入れる食品の一次包装資材を市場に送り出すためには人の目での確認が必要。企業理念を突き詰めて実践してきた結果が、倉吉の経済・雇用政策の目的と一致したと思っています。
先代は故郷に錦を飾る意味で貢献したのではなく、「今の自分があるのは故郷のおかげ」と感謝の意を形に表したと思います。名誉市民は会社にとっても身に余る光栄です。
―業界の現状は。
「脱プラ」問題を切り離せないのは事実ですが、機能性や耐衝撃性、食品の鮮度保持性能などはプラスチックが優位です。一番大事なことは家庭や事業所での分別廃棄。循環型食品軽量容器の製造とシステム作りに貢献し、再資源化と廃プラ排出削減などに積極的に取り組んでいます。
―廣川ホールディングスの役割は。
素材生産の廣川マテリアル、製品生産のエースパック、販売の廣川など各事業会社がそれぞれの領域で機能を生かせるよう、本社的な部門(経理、人事、企画、開発、広報等)を担う「屋台骨」です。
―今後の展望は。
当社の使命は、生産者(つくり手)と消費者(つかい手)を「つむぐ」こと。「つなぐ」と「つむぐ」は広い意味で同じ。変えずに残すレガシー(財産)と未来に向け変えていくそれらを組み合わせながら次代につなぎます。大阪や東京はマーケティングや商品開発には適地だが、サプライチェーンの構築や生産拠点として最適とは言えない。販売開発を行う本社大阪と、それを形にする倉吉のつながりはさらに強固にしたい。