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受賞作品 感想文部門
「一本松が『生かされた』理由」
渡辺 凛帆
米子市立加茂小学校3年 「奇跡の一本松 大津波をのりこえて」(汐文社) |
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わたしは、この本を読む前から「きせきの一本松」が、本当にあった話だと知っていた。
岩手県りく前高田市の「生きるきぼう」となっていることも。それは、父は自えいたいで、3・11のしんさい発生時から丸丸3週間、岩手県ちょうにとまりこんで、きゅうさい活動をしていたからだ。また、祖父はせん台の住人でひさい者だった。そして、わたしも、3・11は青森に住んでいた。丁度下校時間の大きな地しんだった。電気ガス水道みんな止まった氷点下の夜、毛ふにくるまって、ろうそくの明かりをみつめていた。町中の街とうが全部消え、しんしんと雪がふりつもり、母と二人だけとりのこされたような、こわくて寒くて長い夜だった。
だから、一本松が七万本もの松原の仲間がつ波にのみこまれ、自分だけとりのこされた気持ちになったことが、すごくよく分かった。二百六十才の長ろうが、おそるおそる目を開けた時のぜつぼう感は、一しゅんで家族が目の前でつ波にながされたひさい者と、全く同じ気持ちだったと思う。「どうして自分だけが生きのこってしまったのだろう」と、身も心もポッキンとおれてしまったのだ。それでも、「おまえは、おらたちのゆう気だ。神様がのこしてくれたきせきの命だ」と、人びとがはげまし続けたおかげで、一本松は、仲間の分まで生きて、立ぱな松原の海をとりもどそうと立ち上がる。
人間も、一本松のために手をさしのべる事で、自分自身も、たくさんのゆう気や元気をもらっているんだと思った。
でも、どうしてきせきは、この一本松の身の上に起きたんだろう。「きせきはふつうに考えるとぜったい起きないことが、そうあってほしいと願う人間の強い意しで起きること」と書いてあった。だから、自分にはムリだと思っている人、はじめからあきらめている人にはぜったいにおきないのだ。
母は「りほが生まれてきてくれたことが、きせきみたいなもんだから」と、たまに話す。「きせきって何?」って聞いたら、「神様のごほうびみたいなもんかな」とも言っていた。
だとすれば、一本松は、神様にえらばれたのだ。大切な人をなくし、生きるきぼうさえなくした人に、ゆう気をあたえられると見こまれて、「生かされた」のだと思う。
わたしたちは、あのしんさいで、生きたくても生きられなかった命があることを、ちゃんと知るべきだと思う。
一本松は、子どもたちに命のバトンをわたし、元気になって、またあの場所に帰ってくる。「ふっこうのシンボル」として。
わたしは、「シンボルって何?」と聞いたら「ひさい者にとっては『もう一度がんばろうと思える場所』が、ひつようなんだ」と父が答えた。
長ぶちつよしの「ひとつ」の歌のように「わすれない。わすれさせない。わすれたくない」場所が、この一本松なのだと思った。
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