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受賞作品 感想文部門
命のつながり
住田裕香さん
米子市立福米東小学校3年
「じいちゃんの森 森おやじは生きている」(PHP研究所) |
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「ひいおじいちゃん、小学校は友だちがたくさんいて楽しいよ。弟も大好きだよ」
大すきなひいおじいちゃんの命日に、家ぞくでおはかまいりに行き、手を合わせいのった。「ひいおじいちゃんには会えない」とこれまでのわたしは思い出すたびにかなしかった。でも、この本を読んでかわった。見まもってくれていることが分かり、えがおになれた。
たいちは小学三年生の春休みに、ぜんそくがよくなるようにと、いなかのじいちゃんの家に家ぞくで引っこしをした。わたしがまずおどろいたのは、森のたからのことだ。たいちがじいちゃんの家に来た日に教えてもらったすすたけも山のたからだ。森に春がやってきたことを教えてくれる細い竹の赤ちゃんをわたしも見てみたい。きっとじいちゃんが教えてくれたように、スーパーでは買えないとれたてのかおりを口いっぱいに感じたら、たからもののように口の中でかがやくだろう。
そして、もう一つおどろいたのは、「森おやじ」のすごさだ。たいちがじいちゃんから「森おやじ」のことを聞いた時、わたしは森のおくに住んでいるかみさまだと思った。高さが二十bあり、五百年も生きているクヌギの木だと分かった時は、
「この木が森おやじなの」
とたいちと同じように声を出してしまった。このクヌギの木が水をすい上げる音をそうぞうしていたら、「ドクン、ドクン」と心ぞうの音みたいだと思った。森の中の野いちごの広場や、冬でもあたたかいいずみ、そして森に生きる動物たちは、「森おやじ」のやさしさでいつもまもられているんだなと思った。
たいちが四年生になったある日、じいちゃんが「森おやじ」のそばでなくなった。わたしは「何で森おやじは、森を何よりも大切にしていたじいちゃんをまもってくれなかったのか」とかなしかった。でも「森おやじ」の日記を読むと、森をはなれずに一生見まもっていくという、おじいちゃんと「森おやじ」とのやくそくがあったことが分かった。きっとじいちゃんは「森おやじ」と一しょに、今も森の生き物やたいちたちを、えがおで見まもってくれていると思った。
わたしのひいおじいちゃんは、わたしを上に乗せてお馬をしてくれたり、畑でいちごつみをさせてくれたりして、本当に大すきだった。わたしの小学校入学をだれよりも楽しみにしてくれていたが、入学の三カ月前に病気でなくなった。とてもかなしかったけれど、きっとたいちのじいちゃんのように、近くで見まもってくれていると思う。そして、わたしに兄弟がいたらといつもねがってくれたひいおじいちゃんの言葉どおり、二年生の春に弟がうまれた。ひいおじいちゃんがきっと新しい命をさずけてくれたんだと思う。
わたしは、これからも弟となかよくして、自分のできることにどんどんちょうせんしていきたい。そして、命のつながりを教えてくれたひいおじいちゃん、本当にありがとう。
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