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受賞作品 感想文部門
勇気のバトン
亀尾茉央さん
南部町立西伯小学校5年
「六千人の命を救え! 外交官・杉原千畝」(PHP研究所)
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六千人を救った「命のビザ」。このビザは、千畝の「勇気の証」だと、私は思う。
勇気とは、不安や困難だと感じることをおそれず、向かっていく強い心のことである。千畝は、自分の信念を貫き、やり通す勇気をもった人だと私は思った。
千畝は、すぐれた外交官だった。外交官とは、国の代表として外国にたい在し、外国とより良い関係をつくるために働いている人のことだ。また、入国や通過を認める証であるビザをわたすことができる職業でもある。
ある日、ユダヤ人が日本のビザがほしいと千畝に言ってきた。千畝が派けんされたリトアニアがソ連に加えられ、はく害を受けていたユダヤ人にとって、リトアニアが安全な場所ではなくなったからだ。多くの避難民にビザを出すことは、規則に反することだ。日本政府に逆らえば、あとで重く罰せられ、すぐれた外交官としての地位も失うことになるだろう。
しかし、千畝は、自分をたよっている人々を見捨てることはできないと、ビザを出す決断をする。自分の人生をかけた千畝の勇気ある決断をすごいと思った。千畝は、食事をする時間も寝る時間もおしんで、来る日も来る日もビザを書いている。当時は、パソコンなどない時代だから、ビザを書き続けたうでは、ぱんぱんにはったそうだ。私が千畝の立場だったら、人のためにこんなにまで自分を犠牲にできただろうか。
千畝は、後にこの時のことを、
「人として当たり前のことをしただけです」と言っている。人の命を救うということは、だれが考えても当たり前のことだ。でも、自分や家族の危険もかえりみないで、自分に正直に当たり前のことをやり通すということは、口で言うほど簡単なことではないと、私は思う。
千畝がビザを出すことで救った人々は、およそ六千人といわれる。さらに、その子ども、孫、ひ孫を合わせると、およそ二十万人にもなっているそうだ。これらの人々は、戦争や差別をすることが間違いだと分かっている人達である。阪神淡路大震災が起こった年、千畝がビザを出してから四十五年も経っているのに、神戸で過ごしたユダヤ避難民の中には、基金を集めて送った人もいたそうだ。千畝は、単にユダヤ人の命を救っただけでなく、平和を愛する人達を増やした。そして、人を助けるという当たり前の心が、今もどんどん受けつがれているということだ。
自分の利益や名誉を考えず、人として正しいことを行うのは難しいことだ。でも、私は、千畝の生き方から、人の意見に流されず、自分が正しいと思うことを貫く勇気をもつことの大切さを学んだ。だから、自分の考えをしっかりもち、自分の気持ちに正直に生きたい。そして、まず身近な人から助けていきたいと思う。千畝からもらった「勇気のバトン」を受けついでいくために。
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