− 都大路へのステップ −
「第31回日本海駅伝競走大会」(鳥取陸上競技協会、新日本海新聞社主催)「南部忠平杯第26回くらよし女子駅伝競走大会」(倉吉市、鳥取陸上競技協会、新日本海新聞社主催)が10月2日、倉吉市営陸上競技場を発着点に開かれる。駅伝シーズンの始まりを告げるこの大会には、暮れの全国高校駅伝に名を連ねる強豪校に加えて、近年力を付けつつある新興勢力などが多数集結する。都道府県高校駅伝、そして都大路へとつなげたいそれぞれの思いを知るため、胸高鳴るステップレースを前にした出場チームを訪ねた。
挑む心で覇権奪回を
松山工高(愛媛)
2011/9/29
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練習用たすきに込められた歴代主将の思いを胸に闘志を燃やす松山工高のメンバー=松山市の同校 |
「挑む心が道拓(ひら)く」−。駅伝メンバーが毎日掛ける練習用たすきに記された部の信条だ。ここ2年は県大会でライバル宇和島東高に惜敗。3年ぶりの覇権奪回に闘志を燃やすチームは、「日本海」への挑戦をステップにその道を力強く突き進むつもりだ。
高校、大学で中長距離経験があり、たすきリレーへの高鳴る思いを抱き続けた白方順監督。2000年に同校に着任すると同時に「駅伝を強くしたい」と決意し、02年に鳥取で行われた由良育英高(現鳥取育英高)の夏合宿に参加した。これが縁で同年から日本海駅伝に参戦し、今年で出場10回を数える。
07年には実に37年ぶりの県大会制覇を果たし、翌年に連覇を達成。「『日本海』は全国の強豪と競いながら、距離や区間のアップダウンなどを考えて選手起用も試せる。絶好の機会」(白方監督)。「日本海」で得た感触や実績をもとに、県大会へチームを練り上げていく。そんなサイクルが出来上がった。
学校があるのは松山市中心部。グラウンドは1周300メートルと狭く、放課後はソフトボール部や野球部、サッカー部などと交代で使っている。陸上部員がグラウンドを目いっぱい使えるのは朝6時半からの80分間のランニングで、放課後は校内での筋力トレーニングが主となる。学校から10キロほど離れた県立総合運動公園に週2、3回は出向き、400メートルトラックで思い切り走り込んで環境の不利を補っている。
四国地区は全国優勝が男女ともまだなく、全体的に県予選への出場校数が少ない。そんな中で全国と渡り合うには「上には上がある」という意識を選手が持ち続けることが重要だ。夏に九州や中国地区の強豪校との合同合宿に出向くのもそのためで、「日本海」で同じスタートラインに立つ強豪校もその意識を呼び覚ます存在となる。
今年のメンバーは、5000メートルチームトップの15分9秒を持つ広本主将をはじめ、15分台前半に西岡、井上、川崎、芳之内が並ぶ。「日本海駅伝は都大路に近いレースで大事」と広本主将。彼らが肩に掛ける練習用たすきは、実は歴代の主将が引退時に後輩たちに贈ったもの。都大路を経験した代としてたすきを贈れるか−。きょうも熱がこもった練習が続く。
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【松山工高】1909年に松山市立工業学校として開校し、学制改革で48年に現校名に改称。松山市の中心部に位置し、機械科、電子機械科など8科がある。陸上では、62年の全日本選手権男子ジュニア3000メートルで木山隼美が優勝。全国高校駅伝の男子には61年に初出場して以降、通算6度出場し、最高位は木山がいた62年の19位。2008年に四国高校駅伝で初優勝。 |
タイムより順位意識
京都外大西高(京都)
2011/9/28
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順位と勝負へこだわりを胸に秘めて駅伝シーズンに臨む京都外大西高のメンバー=京都市右京区の同校天神川グラウンド |
京都外大西高にとって2008年は歓喜と苦渋が入り交じる年だった。悲願の全国高校駅伝初出場を果たしたが、結果は最下位の47位。翌09年に現在の中井祥太監督が就任して巻き返しを図ったものの同年の京都府大会は4位、翌10年も3位と2年連続で全国切符を逃した。就任3年目の駅伝シーズン幕開けを前に、「選手の力が拮抗(きっこう)しており、チーム力の底上げができた」。若き指揮官の表情に確かな手応えがにじむ。
中井監督は東海大1年だった03年に箱根駅伝の山登りの5区で当時の区間新をマークし、一躍脚光を浴びた。翌年は同区区間2位の走りでチームの総合2位に貢献。その後、有力実業団のコニカミノルタに進んだが故障に泣き、現役を退いて母校の監督に就いた経歴を持つ。
練習について、中井監督は「特別なことはしていない」と話す。部員は自宅から電車などで通える範囲の生徒ばかりで、中学時代にエースだった選手はいない。練習は平日が午後4時から同6時まで、土曜日が午前9時から正午までと短時間。さらに日曜日は試合がなければフリーで、選手の自主性に任せている。
集団走やクロスカントリーを取り入れたメニューで、個々の力は着実に伸びてきた。今年は毎年夏休みに行う合宿を2度から3度に増やし、例年以上の距離を走り込んだ。ハードな練習で得た自信は、勝負の舞台に立つ選手たちの心の支えにもなっている。
チームが目指すのは「先行逃げ切りのレース」。1、3、4区の長距離区間を任せられる5000メートル14分台のエース中村、主将の和泉の両3年生と、力のある2年生吉田の存在が大きい。中井監督は「駅伝は3人では勝てないが、3人に引っ張られる形で他の選手が走ってくれたら面白いレースになる」。選手の力が張り合っている今年だからこそ、そんな展望も描ける。
「日本海」には府大会のライバル、洛南高も出場する。11月の府予選に向けて互いの力を知るこれ以上の機会はない。昨年は京都外大西高が36位、洛南高は13位。狙うは「10番台で、洛南より上の順位」(中井監督)。意識するのはタイムよりも順位だ。「力は遜色ないので、気持ちの部分で上に行きたいと思えるかどうか、です」
勝負の年に中井監督が「自信を持って送り出したい」と話すチームは、「日本海」から高校駅伝の“聖地”へと、どんな土産を持ち帰るのだろう。
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【京都外大西高】京都市右京区。京都外大の併設校として1957年に京都西として創立した男女共学の私立校。2001年に現校名に変更。「不撓(ふとう)不屈」の建学精神の下、特進、国際文化、ステラ、体育の4コースを持つ。硬式野球部、水泳部、空手道部などが全国で活躍。卒業生にはプロ野球中日ドラゴンズの大野雄大投手やタレントの宮川大輔らがいる。
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自ら律し狙う「3度目」
拓大一高(東京)
2011/9/27
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「今年こそは3度目の都大路へ行くぞ」。覚悟を持って臨む拓大一高の選手たちのまなざしは真剣そのもの=東京都武蔵村山市の同校敷地内 |
午後4時、拓大一高のきょうの練習が始まった。時間をかけて体をほぐした後に、学校を周回。さらに近くの都立公園の陸上トラックに出向いて練習し、時にはクロスカントリーコースも使う。「都市部の高校にしては、練習環境は恵まれている方だと思います」と青柳友博監督は話す。
「日本海駅伝には全員を連れて行くわけじゃないんだからな! 時間が来たからやるかとか、今までやきのうと同じ行動をしていたらどんどん負けていくぞ」。こんな言葉が練習後のミーティングで主将から出る。引き締まった表情の19人の部員は全員丸刈り。「こんな大都会で、高校3年間を陸上に懸けようと思う、その覚悟みたいなものです」と青柳監督。
ベッドタウンで少し外れているとはいえ、都心には電車でものの30分もあれば着く環境。寮などはないので自宅通学できる範囲の生徒だけしか集めない。練習を続けるより楽に過ごせる方法はそこらじゅうに転がっているので、「丸刈りでも陸上をやる」という入学時の決意が肝心という。
青柳監督は指導を始めて13年目。当初は都大会で2時間27分台のタイムを経験したこともあった。「持久走をしても、陸上部はサッカー部とかバスケットボール部の生徒に負けちゃう。本当にゼロからでした」
最初に「日本海」にエントリーしたのは2003年。「繰り上げスタートの連続」で61位、2時間20分38秒だったが、この大会に出場した意味は大きかった。トラックでは抜群のタイムでも、ロード走ではその速さが発揮できない子。予想以上に駅伝の競り合いが強い子。「持ち帰られる情報は本当にたくさんありましたよ」。さらに出場を重ねて優勝チームとのタイム差は5分以内にまで短縮。全国との距離はぐっと縮まり、都大会優勝という結果に表れた。全国大会での入賞ラインも見えてきている。
初出場の07年から2年連続で都大路の舞台に立った。その後は都大会3位が続いているが、今年のチームは5000メートル14分台が6人と「持ちタイムは今までで一番いい」(同監督)。主将の藤木、エース見広を中心に返り咲きを狙っている。
試合で選手を送り出す時の言葉はこうだ。「日本一誘惑の多い環境で、その誘惑を断って努力してきたんだ。自信を持て!」。自らを厳しく律してきた精鋭たちは、年末の京都にいることを想定しながら、伯耆路のスタートラインを飛び出す。
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【拓大一高】
東京都武蔵村山市にある私立校。1948年に紅陵高校として創立され、60年に現在の校名に改称された。特進コースと普通コースがあり、国公立大、難関私立大に毎年合格者を輩出している。男子のソフトテニス部はインターハイ出場の常連。近年は陸上部も男子5000メートルや同3000メートル障害でインターハイ出場を果たしている。
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