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受賞作品 感想文部門
命がけで書いた本
佐布 遥さん
米子市立箕蚊屋小学校5年
「もしも学校に行けたら アフガニスタンの少女・マリアムの物語」(汐文社) |
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「命がけで書いた本」とは、まさしくこの本のことだと私は思う。この本を書いた後藤健二さんは、世界各国のなん民や戦争などの環境の中でくらす人々の中で、子供たちに目を向けた。そのためにどんなきけんな場所でも命がけで取材をし、日本全国に発信したすばらしい方だ。
後藤さんが長い期間にわたり取材したのは、アフガニスタンの首都カブール。2001年のカブールの街の風景は、いまとは正反対だった。大きなショッピングモールがなければ、スターバックスコーヒーのようなカフェもない。建物はこわされ、地面はむき出しになっている。戦争そのものの風景だったと思う。
私がくらしている今の時代の日本は戦争というものを感じることは何もない。戦争のころの生活や様子などは全くわからない。平和でなにもこまることがなく、楽に生活することができる。でも楽な生活の中だからいやなことがある。「学校なんてきらい」「学校なんてなくなっちゃえばいいのに」と思っている子どもは少なくないと思う。私だってそう思う時がある。冬休みの宿題をしていても、大好きなゲームをしたいし、友だちと遊びたい。日本には「6さいになったら、小学校に通う」ぎむ教育というシステムがあるから、勉強をすることはあたり前ですすんでやりたいなんて思わないのだと思う。でも、アフガニスタンではそんなきまりがないから、学校に行かない人が多い。私はこの本を読んだとき、さいしょは「いいな」と思った。でも本を読むうちに「本当にいいかな」と考えさせられた。
そのころのアフガニスタンには、学校に通いたいと願う子どもがたくさんいた。しかし、学校に行きたくても行けないというのが現状だった。三十年も続いた戦争のため、生きていくのがやっとだったのに、めちゃくちゃになった家を直さなければならない。お金はない。そんなとき、ユニセフという支えてくれる団体によって、私と同じ年のマリアムという女の子は学校に行けることになった。お金はかからない、文ぼう具ももらえた。マリアムは学校がどんなところかよくわからなかったけど楽しみだった。そのあと、いろんなことがあったけれど、「学校に行って勉強がしたい」という一心で前向きにがんばるマリアムの気もちに私は感心した。私たち日本人はほしいときに文ぼう具を買えるし、おなかがすいたらごはんを食べられる。こんなあたり前のことができない、マリアムのような戦争の中で生活をしている子どもたちがいることをわすれてはいけないと思う。一つ一つのあたり前のことに感謝ができるようになったからこの本にであってよかったと思う。
後藤健二さんはテロとの戦争にまきこまれ、亡くなられた。この「命がけで書いた本」は人と人がきずつけあうことは、ぜったいにだめだということも私に教えてくれた。私は戦争について勉強しなければならないと思う。
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