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受賞作品 感想文部門
「いのちをいただいている」ということ
佐布遥さん
米子市立箕蚊屋小学校6年
「うちは精肉店」(農山漁村文化協会) |
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ごはんを食べられることはありがたいことだが、『いのちをいただいている』ということをだれもが理解しているだろうか。私たち人間が忘れてはいけないことだが、私はちっともわかっていなかった。『いのちをいただいている』ということの大切さに気付かせてくれたこの本に感謝したい。
私がよく遊ぶ神社の横に川が流れていて、道路から川に降りるためのコンクリートの坂がある。お父さんから、「昔は、その坂から牛をつれて川に入れて、水を飲ませたり、体をあらったりしていた」と聞いた。また、近所で家畜や屠場があったことを教えてもらった。屠場とは、牛やぶたなどの家畜を食材の肉にする場所だ。食材の肉にするためには、家畜を殺すことになるから、誰もが「かわいそう」とか「残こくだ」と思ってしまうと思う。私もそんな風にしか思っていなかった。この本の中心人物である北出さんは精肉店をされている。そして、屠場で食材にする牛を子牛から育てておられた。かわいがって育てたその牛をハンマーで気絶させることから始まる。私はその写真を見て「かわいそうだ」と思った。だけど、考えてみれば私たちは牧場で草を食べる牛を見ると「かわいい」と言うことが多い。そして、お肉を食べるときはみんな「おいしそう」という。それぞれの場面によって牛の見方を変えてしまうのはなぜだろう。そんな自分勝手でいいのだろうか。私はこの『うちは精肉店』という本と出会う前に『いのちをいただく』という本を読んでいたのを思い出した。この本は食肉加工センターで働く坂本さんが出会った、牛のみぃちゃんと一人の女の子の本当にあった話だ。女の子の家で育てた牛のみぃちゃんを食肉にするために屠畜する。女の子はその肉を悲しくてすぐには食べられなかった。何度も読み返すと、あらためて命をいただくことの大切さや、私たちが忘れてはいけないことが分かった気がした。「かわいい」も「かわいそう」も「おいしそう」もどれも正解だった。すべての意味をしめしているのは『いただきます』と『ごちそうさま』だ。『いただきます』と言うことで食材になった動物への感謝が伝わり、『ごちそうさま』と言うことでおいしかったという気持ちや、この食べ物にかかわってくれた方へ感謝することができる。
私たちが生きているのは牛だけのおかげではない。ぶたも、鳥も、魚も、野菜も、お米も…。たくさんの命にささえられて生きているのだ。そのことを忘れてはならない。
日本は今、残飯の数がトップクラスだということをみんな知っているのだろうか。残飯の数がトップクラスということは、それだけの命がむだになっているということだ。私たちが今、一番しなければならないこと、それは命をいただいているということのありがたさを誰もが再確認し、感謝しながら生きていくこと、食べ物をそまつにしないことだと私は思う。
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