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受賞作品 感想文部門
「スラムにひびくバイオリンを読んで」
中村 大我さん
境港市立境小学校3年
『スラムにひびくバイオリン ゴミを楽器に変えたリサイクル・オーケストラ』(汐文社)
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世界のどこかにゴミの町「スラムがい」がある事は知っていました。でも、本当にそこで生まれ育った人の話を聞いた事はありません。
この本に出て来る主人公「アーダ」の住む町は、朝、早くからゴミしゅう集車の「ゴオー」という音で一日がはじまり、とてもくさくて、あつ苦しいスラムがいです。
「ガンチェロ」とよばれるゴミを分別する人たちが、ゴミの中から売れる物をさがしてそれをお金にして生活しています。ダンボールが一キロ十セントと書いてあり、ぼくは、「十セント」がいくらになるのか気になり、調べてみたら、やく十円てい度でした。くさくてあつい中、やっと集めたダンボールが一キロたった十円。もっと、おどろいたのは、ダンボールが売れる事、お金になる事です。
ぼくの家では、ダンボールは、リサイクルセンターに持って行きます。もちろんお金はもらえません。ふねん物のプラスチックもアーダの住むパラグアイでは、お金になるようです。
ゴミの町で生まれ育ったアーダとその家族は音楽が大すきで、まずしくても心の中は音楽がいっぱいあふれている明るい家族。ぼくは、うらやましく思いました。ぼくは、ゴミの町で生まれてないし、学校にも通って、ふつうの生活をしているのに、音楽だけで、明るい気持ちになれないからです。楽きだって作った物をわたされたら、すなおによろこべるのか、わかりません。
この事をお母さんに話したら、「今の時代は、何でも買ってもらえて、何でも食べさせてもらえるから、感しゃの気持ちが、あたり前になって来てるんだと思うよ。」と、言われ、「もし、大我がアーダの町に生まれ育ったら今、小さく感じる事が、すごく大きく感じるかもしれないよ。」と、言われて、少し考えました。ぼくは、たまに、「あれほしかったのに。」とか、「あれが食べたかったのに。」とか言って、お母さんにわがままを言ってしまいます。ぼくが、アーダの町に生まれていたら、そんな事も言わない、言えないのではないかと思います。それは、ぼくの生活ではあたり前の事が、アーダの生活ではあたり前ではないからです。
作ってもらった楽きをすなおによろこび、毎日、何時間も練習をして上手になって、自分に自信がもてる様になって、世界中の人たちがみとめてくれるまでになったアーダの真っすぐな心に感動しました。「どこで生まれたか、お金があるかは、かん係ない。」本当にそう思いました。
本のさい後にのっているアーダたちの写真は、みんな目がキラキラしていました。生活はまずしくても、ゆめときぼうを捨てなかったアーダたちのキラキラした目をぼくは、ずっと、わすれないだろうと思います。
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