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受賞作品 感想文部門
「デンデラ野について考えたこと」
坂本 麻央さん
米子市立明道小学4年
『えほん遠野物語 でんでらの』(汐文社) |
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クリスマスの夜、私は家族と「ヘンゼルとグレーテル」のオペラを観に行きました。
オペラは愛と勇気の物語でしたが、パンフレットを見て、私はおどろきました。元々は、19世紀初めの、まずしかった時代に、人々が生きのびていくために子どもを捨てるお話だったそうです。私は、大好きなお父さんとお母さんに自分が捨てられるなんて、とても悲しくていやです。自分の身におきかえて、デンデラ野のお話が、本当に悲しい、ひどいことだと強く思うようになりました。
出産は命がけだと学習しました。お母さんも私を生んでくれた時、すごく大変だったと言っていました。そして二分の一成人式で、愛情いっぱいに育ててくれたこと、これからもずっと大切に育ててくれることを話してくれました。時代がちがっても、きっとデンデラ野に捨てられたお年よりも、自分の子どもを一生けん命育てていたと思います。そんなわが子に捨てられるなんて、本当につらくて悲しかったと思います。いくらまずしくても、家族がいっしょにくらすことはできなかったのかなと思いました。
去年、私のひいおばあちゃんが104才でなくなりました。ひいおばあちゃんは、よく私の名前をまちがえたり、同じことを何度も言って私も困ったりすることがありましたが、遊びに行くと、いつもうれしそうに笑ってくれていました。おそう式の日、もう会えないかと思うと、とても悲しくてさびしかったです。お父さんは泣いていました。お父さんは小さいころひいおばあちゃんといっしょにねていたそうです。すごくかわいがってもらっていたから、さびしくてなみだが止まらなかったそうです。
まずしさは、家族の愛情や思い出もなくしてしまうくらい、残こくなことだと思いました。
今、私が生きている時代は、食べる物がなくて、生きのびるために子どもやお年よりを捨てるということはないと思います。
でも、テレビや新聞で、子どもへのぎゃくたいや、お年よりのこどく死といったニュースはよく聞きます。心のまずしさが、悲しい事けんをおこしているのかもしれません。
デンデラ野は今でも、ちがった形で残っている気がします。遠野だけでもデンデラ野がいくつもあるのなら、日本全国に同じような、死んで行く人たちの入り口があると思います。
デンデラ野のそばには、いつも死があり、真夜中に死の知らせがわかる家の人がいるそうです。
堂守の家の人のように、だれかが死ぬのがわかるのなら、ぎゃくたいやこどく死といった事けんを防いで、悲しい死に方をする人がいなくなったらいいと思います。
人はいつか必ず死にますが、悲しい死に方ではなく、私のひいおばあちゃんのように、家族に見守られて、安らかに天国へ旅立ってほしいです。
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