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受賞作品 感想文部門


  新日本海新聞社社長賞
「だれもしらない」を読んで

崎津ちなみ
境港市立渡小学校3年


 わたしは、この本を読みはじめたときは、まりこのことをとてもかわいそうだと思った。まりこは、小さいときの病気がもとで、きん肉の力がふつうの人の十分の一くらいしかない。そのため、二百メートルを歩くのに四十分もかかるし、しゃべるときも、うーうーとかあーあーとしか言えないからだ。でも読んでいくうちに、それはわたしの勝手な考えで、まりこはかわいそうではないと感じてきた。まりこは、二百メートルを四十分もかかって歩くからこそ、いろいろな体けんをしていた。やすこねえさんや、はるみおばさんとの会話。ネコのクロとの交流。お母さんと海をながめてほっとする時間。なによりびっくりしたのは、ハチのしゃぼん玉ふきだ。もしわたしなら、ハチがしゃぼん玉をふくところなんて気づけないし、ハチがいたらこわくて走ってにげだしていると思う。まりこは、たった二百メートルの間に、人とかかわり、動物とふれあい、自ぜんを楽しんでいる。わたしは、まりこの「しれば友達になれるのに」と言った言葉が、強く心にひびいた。まりこが、わたしに言っているような気がした。

 わたしのおじいちゃんも、まりこのように体にしょうがいをもっている。わたしが二才のころ、頭の病気でたおれ、左手が動かなくなったそうだ。歩くときも、足をひきずっている。もしかしたら、おじいちゃんのことを知らない人が見たら、左手が動かなくて、足をひきずるおじいちゃんを、かわいそうだと思うのだろうか。わたしは、考えてみたら、おじいちゃんのことはかわいそうだと思ったことは一度もない。おじいちゃんは、毎日さん歩に行ったり、にわの松の手いれをしたり、好きなビデオを見たりしている。そして、わたしが学校から帰ってくるのをまっていてくれる。お父さんとお母さんが仕事をしていても、いつもおじいちゃんが、わたしのそばにいてくれるので、わたしはさみしい思いをしなくていい。おじいちゃんも、わたしといるときは、とても楽しそうにしているからだ。

 わたしは、「しょうがい」について、これからもっと知りたいと思った。まりこやおじいちゃんのほかにも、いろいろなしょうがいをもって生活している人は、たくさんいる。そのいろいろなしょうがいについて知ることができれば、しょうがいをもっている人の楽しい気持ちやつらい気持ちが少しでも分かり、わたしのことも分かってもらえると思う。

 この本を読んだあと、ほ育園のとき好きだった、金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」という詩を思い出した。ほ育園のころは、意味も分からず暗しょうしていた。今読んでみると、詩のさい後の「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。」は、しょうがいをもっている人も、わたしたちも、見た目はちがうけど、同じようにすばらしいと書いてあるように思えた。わたしは、「だれもしらない」を読んで、大切なことに気づくことができた。
(「だれもしらない」あかね書房)


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