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受賞作品 感想文部門
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「波照間からの旅立ち」を読んで
川上 詩恩
鳥取大学付属小学校6年
「波照間からの旅立ち」 小峰書店 |
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私は今、地図帳を開いています。そして、波照間島を見つけました。小さな小さな島です。私は五年生の秋に沖縄に家族で旅行に行ったのですが、その沖縄の本島からとても離れています。西表島からもさらに遠い、この小さな島で順也はひと夏を過ごしました。
順也は、一人で飛行機、フェリーに乗って周太にぃのいる波照間島に行きました。順也と周太にぃは本当の兄弟ではありません。二年前にお父さんとお母さんが再婚をして兄弟になりました。私に新しいお母さんかお父さんができたら、そして、新しいお兄さんができたら、普通に接することができるでしょうか。想像することしかできませんが、やはり自然にふるまうことはできないでしょう。順也も当然戸惑った事と思います。でも、新しいお父さんもお兄さんも、本当に優しい人です。そして、周太にぃとのひと夏は二人にとってかけがえのないものになりました。
順也は、波照間で戦争について学びました。
「苦しいよ さむいよ/お母さん/お父さん/帰りたい 帰りたい 波照間へ」
波照間から西表島へ無理矢理行かされて、マラリアで亡くなった六十六名の小学生の子供たちの詩です。学校の先生としてやってきた山下という先生によって、ハエミの人たちは西表島へ立ち退きさせられました。山下は「戦争に勝つためだ。戦争は神である天皇のためだ」と言って強制立ち退きを波照間の人にさせて、自分に逆らう人には暴力をふるいました。その暴力で死んでしまった子供たちもたくさんいます。昔は天皇陛下が神様とされていたので、その神様のために死ぬことは名誉なことだったのです。
私は、沖縄の青く青く澄んだ空を思い出しました。鳥取の空と色が違い、空気まで違うように感じました。暖かく平和に満ちた原色の街の中に米軍基地があったのですが、平和の中にもここ、沖縄ではまだ戦争が現実のものとして残っているようでした。沖縄県は、アメリカ軍の本土上陸を遅らせるために、むごい戦場にされたことをひめゆりの塔を訪れたときに学びました。その時の記念写真に写った私は、笑っていません。戦争のむごさ、悲惨さを目の前にして私は、とても悲しく、なぜか緊張したことを覚えています。その緊張感は、修学旅行で行った広島の平和記念館でも感じました。体が冷たくなるような緊張感、戦争という体験したことのない現実に、恐怖が緊張感になって現れたのだと思います。
私には父も母もそして弟もいます。平和で楽しい毎日が本当にありがたくて大切なものであるということを、この本を読んで学びました。平和と家族、一見関係のないもののように見えますが、本当は私にとって、とても関係深いもののように思います。家族の皆が仲良く元気で毎日を過ごしていることが私の毎日を平和で温かいものにしてくれています。私は、この平和な毎日を、自分なりに大切に感謝しながら過ごしていきたいと思います。
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