ぼくは、この本をよんでチキンマスクさんにいいたいことがある。それは、もうほかのマスクにならないで、ということです。チキンマスクさんは、フクロウマスクをかぶって、いままでにとくことができなかったけいさんをとくことができました。ハムマスクをかぶって、すてきなさくひんをつくることができました。カブトマスクをかぶってまるたをもち上げたり、アザラシマスクをかぶっておしゃれリーダーになったり、ウサマスクをかぶってみんなに一目おかれたりもしました。でも、こころでぼくはおもいました。チキンマスクさん、ほかのマスクにならないで。だって、チキンマスクさんはチキンマスクさんで、ほかのだれでもないからです。ぼくは、ゆう気あるすごいマスクだとおもいます。
学校の校ていのすみにあるかわいい花たち。みんなは気づいていないかもしれない、そんな花たちに、チキンマスクさんは水をあげます。そこをよんだとき、ぼくのこころは、さわやかになりました。だから、チキンマスクさんは、すごいとおもうのです。
ぼくが気になったところが、もう一つあります。それは「やっぱり、ぼくは、ぼくでいい」というところです。
ぼくは、この本の中のカエルマスクさんににています。せんせいやともだちから「せいごさんはうたがじょうず。」といわれるからです。でもぼくには、にが手なこともあります。けれど、そんなときにおもうのは、いっぱいがんばってできるようになろうということです。だから、○○さんはいいな、ぼくはだめだ、なんておもいません。一人一人、いいところもあればなおしたほうがいいところもあるはずです。ぼくはぼくのよさをのばしていけたらとおもいます。「やっぱり、ぼくは、ぼくでいい」とおもいます。
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