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受賞作品 感想文部門
「犬たちをおくる日」を読んで
西村 晨吾
鳥取市立美和小学校5年
「犬たちをおくる日」金の星社 |
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「犬は、飼い主で変わる。ええ犬になるんも、アホな犬になるんも、飼い主しだいじゃけん」
愛媛県動物愛護センター課長の渡辺清一さんが施設内見学を終えた子ども達に話した。
そもそも、ほえたり、かみついたりするのは犬だけが悪いのだろうか。ぼくも赤ちゃんのころはいろいろと泣いていた。それでも、大事に育ててくれたのにちょっとほえたり、かんだだけで、捨てたなんて、とてもひきょうな理由だと思った。
他にも、世話ができない、しつけができない、飼うのに飽きた、バカな犬だからいらないなど、自分勝手な理由で捨てられる犬が増えている。特に許せないと思う理由は、バカな犬だからいらないという理由だ。精いっぱい生きている犬にたいして「バカな犬」とは、失礼だと思う。だから、ぼくも渡辺さんの意見に賛成する。「飼い主のしつけでどのように変わってくるのか」ぼくはそう思った。
ところで、捨てられた犬は、どのように処分されるか知っているだろうか。犬たちを捨てた人に一番知ってほしいことである。捨てられた犬は、二酸化炭素ガスにより処分され、焼却炉で燃やされてしまう。ぼくは、その場面を読んだとき、悲しみと許せない気持ちで心がいっぱいになった。理由は二つある。一つ目は、飼い主に見捨てられて、最期をむかえたということである。ぼくの親せきがなくなったときは、みんなでお別れする。犬たちにも、同じことが言えるのではないのだろうか。飼い主に見守られて最期をむかえるはずが、ステンレスのかべの部屋で二酸化炭素ガスをじゅう満させられて死ぬなんてとても不幸だと思った。
二つ目は、前にも言ったように明らかに身勝手な理由で捨てられることである。大切に育てられたのに、あきれた理由で捨てられた犬のことを思うととても悲しくなった。捨てた飼い主に燃やされるところを見て、自分の行いを反省してほしいと思った。
ぼくは、この本を読んでいろいろなことを思った。「犬を捨てる」とは、「命を見捨てる」ことと同じなんだとも思った。例えば、「犬は最後まで責任をもって飼う」や「本当に飼いたいかどうか決める」ことも心がけの一つだと思った。
ぼくは、犬を飼うときは、ちゃんとルールを決めて飼いたいと思った。人間は、救うことができるので一つでもこの短い命を救うことができないのかと思った。
動物愛護センターには、「やすらぎ」という、いれいひが建っている。ぼくは、そのいれいひがいつか不用になる日が来てほしいと思った。
動物にも命はある。ぼくは、大事な命を見捨てるようなことはしたくないと思った。そして、自分たちにどういうことができるのか、どんなことをしてあげたらいいか考えたいと思った。
そして、命を見捨てるような行いが、一つでも減っていくように、どんな犬でも大切に飼うような社会になってほしい。
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