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受賞作品 感想文部門


  新日本海新聞社社主賞
「十年の時をこえて」

宮本 昌治さん
倉吉市立小鴨小学校4年


「福島に生きる凛ちゃんの10年」(農山漁村文化協会)


 ぼくの名前の中にある『はる』が二〇一一年の春のことだと知ったのは、二分の一、成人をむかえた今年のことでした。予定日を一カ月半後にひかえた大きなおなかのお母さんは、津波で町や人が流されたり、原発事故で人がいなくなった町で、牛がにげ回る様子を見て心が苦しくなり、目をそむけてしまったと十年前のことを話してくれました。そして、しん災のこと、さずかった命への感しゃの気持ちをわすれないように、ぼくの名前に『はる』を入れたそうです。

 凛ちゃんにとって、二〇一一年の春はこれまでのくらしをとつ然失ってしまう、つらい春になりました。それは、東日本大しん災で原発がばく発し、危険な放しゃ性物質が凛ちゃんのふるさと福島県飯舘村にも運ばれてきてしまったからです。いっしょにくらしていた家族もばらばらにひなんすることになりました。しん災から十年たった今でも、こうじょうせんの検査を毎年受けないといけないことも、ずっと不安だろうと思います。

 ぼくは保育園の時に鳥取県中部地しんにあいました。しん度6弱の地しんは、まるでブランコに乗っているように、体がグラグラゆれました。ブルーシートの上にすわって迎えを待つ間中、不安でいっぱいで、おばあちゃんの顏を見た時には、ほっとして思わずかけよった事を思い出します。家に帰ると、部屋の中はグチャグチャでかべにきれつが入り、水道も止まっていました。それでもこわさを乗りこえられたのは、家族みんなが無事だったからだと思います。ぼくたちの町には、地しんの後しばらく、屋根にブルーシートがかけられている家がたくさんありました。でも、建物を直したり、新しくすればこれまで通りにくらすことができました。地しんのこわさや自然の力の大きさを感じる経験をしたのは、ぼくも凛ちゃんと同じです。ちがっていたのは、放しゃ性物質があるかないかです。目に見えないし、においもしない放しゃ性物質が、こんなにも長い間たくさんの人々を苦しめていることを知り、ぼくはむねがぎゅっといたくなりました。このぎゅっとなったいたみはお母さんが十年前に感じた苦しさと同じものかもしれないと思います。この本を読んで、十年という時間をこえてお母さんの気持ちと通じ合えたようで、少しうれしくなりました。

 いつかぼくは、家族と一緒に凛ちゃんのふるさとをおとずれてみたいと思います。そして、地しんや津波のこと、原発事故のことなどをしっかりと学んでいきたいと思います。凛ちゃんが自信をもって、飯舘村が自分のふるさとだと言えるように、ぼくたちが応えんできることも見つけたいです。そして、ぼくの名前にこめられた、お父さんとお母さんの願いでもある、春の日差しのようにぬくもりのある人になれるよう、友達や家族を大切にし、凛ちゃんのようなあったことのない人のことも思いやれる心をみがき続けたいと思います。


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主  催 鳥取県学校図書館協議会、新日本海新聞社
特別協賛
協  賛 鳥取県教科図書販売会社、鳥取県書店商業組合、鳥取県教育文化振興会

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